あたまあそび、おとあそび、ドアを叩く
他人から観る異常
「千葉くん、それって共感覚かもよ」
とある日友人に言われたのがきっかけで、私は今まで当たり前に感じてたこと、皆が私と同様に同じに感じていると思っていたことが、全く異なる「共感覚」であることを自覚した。自分の描いた絵が【バルトークの15のハンガリーの農民の歌 第14番(Ësszegyűltek)】からインスピレーションを受けたということを公開した時のことだ。
友人に指摘されたのが10年くらい前なので、その時一体どのようなことがその指摘事項に当てはまるか考えたことがあった。
当時自室にはMDコンポがあり(半分壊れているが令和になってもまだ音楽は聴ける)、ダイヤルを回すとダイヤルの周りの色や液晶の背景色を変えられる機能がついていた。そうそう、自分はある時から、それは明確にいつからとはわからないのだけれど、曲を聴きながらその色を毎回変えるようになっていた。そして、その色は曲の階調によって無意識なのか何なのか明確に識別されていた。
これは専門的な用語で表現すると「色聴」と言う「共感覚」の一種らしく、音階や和音が色と結びつく現象らしい。科学的には大脳皮質の言語中枢野と聴覚中枢野が隣接しているのもあり、混線が起こっているようなことも言われていたりする。
他にも、高校の時の美術で自由に作品を作る(アクリル画材を使って作品を作るだったか)課題の時も、「この音階はこう言う色をしています」と言う作品を作ったのも明確に覚えていて、当時何を考えてそれを作ったのか全く意味はわからないが、要所要所で先の色聴に通じる行いをしていたようだ。
ただ、すべての音楽が色になるわけではなく、20代で最も意識していた時期はとにかく精神状態が不安定だったり精神的に負荷を受けている時のほうが色が鮮明に見えたりしていた。これも脳の構造や機能が関与してるのかもしれない。
特に疲れている時はハードコアテクノなどの電子音楽は色の多様性よりなにかこうビビットな色がフラッシュのようにきらめいたりして眩しいイメージが強くなるなど、必ずしもこの感覚が心地よいとは思わなかった記憶がある。
先に述べた音階を色別にマッピングすると大体次のようになる。色はあくまで自分の頭の中に近い色をこの世の中で言語化されているものに当てはめているのであくまで参考である。
- ハ長調:白
- ハ短調:群青
- 変ニ長調(嬰ハ長調):白群
- 嬰ハ短調:真紅
- ニ長調:若草色
- ニ短調:浅緑色
- 変ホ長調:白藤色
- 変ホ短調:菫色
- ホ長調:山吹色
- ホ短調:刈安色
- ヘ長調:空色
- ヘ短調:藤色
- 変ト長調(嬰ヘ長調):若竹色
- 嬰ヘ短調:赤銅色
- ト長調:常磐色
- ト短調:深緑
- 変イ長調:撫子色
- 嬰ト短調(変イ短調):白菫色
- イ長調:猩々緋
- イ短調:深緋
- 変ロ長調:藍白
- 変ロ短調(嬰イ短調):藤紫
- ロ長調(変ハ長調):褐色
- ロ短調(変ハ短調):黄金
こう書き出してみると、長調短調に関して色の濃淡などはあまり関係なく、♭ の音階が青色寄りで ♯ の音階が赤~黄色寄りであることがわかる。が、自分もなんでそうなのかは説明できない。「そうだからである」という事実が自分の感覚だ。
共有されない感覚
共感覚は個人特有のものが多いという(当たり前だが)。いくら色聴だからといって音階がすべて同じ色にはならないらしい。
結局は、なにかこう共感覚というのは、仮にそうであっても孤独なのである。「共(ともに)」という言葉が含まれている感覚ではあるがなんとも矛盾した様であろう。
つまり、内側に閉じた外界への触覚が増えているだけであって、自分のその感じた色などは一切他の人が観たり、触れたりすることはない。
なので、自分がいくら好きな音楽が「こんなきれいな色をしてるんだ!」とか「ここの小節はこんな色をしてていいでしょ?」みたいなことは狂人の戯言になってしまう(実際に自分は過去の経験でこういう発言から奇妙な反応をされたことがある)。
共有するために
「だから」というわけでは無いが、日常を過ごしていると自分は視覚から入ってくる以外にもたくさんの色を見るのだけれど、頭の中に走馬灯のように流れてしまうこの景色を残しておきたいなと思ったことで、20代前半前後にまた絵などを割と定期的に描き始めたのがそのキッカケであったりする。
こう自分の絵などを描くモチベーションは未だにこういうところだったりしていて、頭の中でしか見えていない「音の色」を実際に再現する、表現することの行為自体も愉しいのだ。
自分の絵はもちろんそれだけではないが、自分の見えている音の景色をみんなにも共有するためにあったりする。別にそこに共感はしてもらう必要はないと思っているけど、単純に「知って」もらいたいだけなのかもしれない。
20代後半で職業を変えたのもあってこういうことをする機会が減っていたのだが、最近また色をよく見るようになってきたので改めて文章にしてみた。